こんにちは、マイクロトフです。
推しが出ているイベントに自分が参加できない時、手紙やコメントで「自分は行けないけど」など「行けない」という事は伝えない方がいいと、以前こちらの記事で書きました。
これは、私たちファンは「行けないけど応援しているよ!」という応援の意味を込めていたとしても、「行けない」という事がマイナスイメージになるからです。
実際に出演者の立場からすると、「行けないと言われても自分にはどうしようもできない。応援してくれるのは嬉しいけど、行けないという事は言わなくてもいいんじゃないか?」という気持ちになるようです。
ファンと出演者(推し)、立場が違えば受け取り方や感じ方も違うからです。
ですが、最近は現地でのイベントに参加できなくても、映画館でのライブビューイングやインターネット配信などがあるので、必ずしも現地に行かなくでもイベント現地の様子や熱気をリアルタイムで楽しむことが増えてきました。
今回は、こういったライビュに関するご質問をいただきました。
目次
今回のご質問内容。
こんにちは。いつもブログを拝見し参考にさせて頂いております。
お手紙やリプライで「ライブやイベントの様子を中継(インターネットでの配信やライブビューイングなど、現地ではないが、視聴する為には金銭の支払いが発生する手段)で観ます」という事を伝えても良いものでしょうか?
正当な対価を支払って観る公式の手段ではありますが、やはり「現地に足を運んでいない(運べない)」という点では「行けないけど頑張ってください」と書いているのと同じ事なのかなと思ってしまいます。
「観るから」楽しみにしてるよ!という事は伝られたらと思うのですが、やはり前もっては書かずに後日感想だけを伝えた方が悪い印象にはならないでしょうか?
アドバイス頂ければ幸いです。
確かに、今は「参加する」「参加しない(できない)」の二択だけではなくなり、イベントが多様化しているので、新たなパターンが生まれると、どうしたらいいのか迷ってしまいますよね。
ライビュや中継での参加がマイナスなわけではない。
現地に行かない=マイナス行為
ではなく、
「行けない」と書くことがマイナス行為
なのです。
質問内容をみると「現地には行っていないという点では、行けないけど頑張ってと同じ」と気にされてたようですが、「行けない事実」と「行けないと書くこと」は全く別物であることを理解する必要があります。
となると、ご質問者さんのご質問内容を要約すると、この2つかなと思います。
1.事前にライビュや中継を見ることを伝えてもいいものか
2.ライビュや中継を事前に伝える上手な方法を知りたい
なので、この2つについて、お答えしたいと思います。
事前にライビュや中継を見ることを伝えてもいいものか
伝えることは問題ないです。
ライビュやネット配信で参加する、視聴したことは、推しに伝えていいです。
というか、むしろ伝えるべきだと思います。
これはイベントとのリアルタイムで視聴できるものに限らず、イベントや舞台終了後の一定期間に配信されるディレイ配信でも同じです。
イベント出演者である推しにとって、自分の仕事を見てもらえていないというのは、とても悲しいことだと思います。
イベントで現地に参加する人が正義でもないですし、逆に参加できない人たちが多いし、観たい!という要望も多いし、そういった我らファンへの救済措置として用意されたのがライビュやネット配信になります。
追っかけしている人たちは、生で推しを見たいし、近くで見たいから必死にチケットを取るとは思いますが、地方だったりするとなかなか現地まで行くのも大変です。
また、イベントチケットも安いものではありません。金銭面的にもチケット代よりはライビュの方が安いです。
なので、敢えてイベントに行かずにライビュや中継を選択することも駄目な事ではありません。
「現地でイベントに直接参加する」ことも「ライビュや中継でイベントに参加する」ことも、出演者からすれば同等の価値ということです。
どちらのファンも大切で、ありがたいのです。
カメラに向かって推したちはアピールしてくれるでしょ?
あのカメラの瞬間は、イベント会場ではなく、配信先の私たちに対しての推しさんたちのサービスになります。
だから、ライビュ(中継)で観ることに対して後ろめたく思わず、素直に「観るよ!」と伝えましょう。
きっと喜びますよ!
ライビュや中継を事前に伝える上手な方法を知りたい
素直に「ライビュ(中継)で観ます!」と書くのが一番です。
「ライブやイベントの様子を中継で観ます」と伝えれば、読む人は文面通りに「中継で観てくれるんだ!」という素直な感想になります。
手紙に「中継で観ます」と書いたことに対して、「中継で見るという事はイベントに参加してくれないんだ」とまで、深読みはしません!
人は、思った以上に文面通りにしか物事を捉えないものです。
言葉以上にも、以下にも捉えてくれません。
逆に、この文章から色々察してね、ということも無理ということになります。
ということは「行けないから中継で観ます」の「行けないから」を書かなければいいだけの話です。
推しなどの表舞台に上がる立場の人からすると、「行けないと書かれてもこちらはどうしようもできない」という事情があるからです。
だったら、「行けないけど頑張って」じゃなくて「頑張って」だけでもよくない?っていう事なんです。
これが、推し側の事情ですね。
「行けない」という言葉がマイナスに受け取られるのであれば、書かなければいいだけの話なので、「観る」という事実だけを伝えればいいのです。
ついでにいうと、どうして自分はライビュや中継で観るのかなどの理由も書く必要はないのです。
もっと言ってしまうと、正規のルートで見たかどうかすら、推しにとってみたら不要な情報です。
本来は、ご質問者さんが書かれたように正規に料金を払って観るべき論だとは思いますが、あくまで「べき論」なのです。
この「べき論」て、ファンの中での捉え方や議論が問題なわけであって、「観た」という事実だけがほしい推しからすれば、どうでもいい情報なのです。
今回の(かっこ書き)に関しては、私(マイクロトフ)への質問に対してわかりやすくするために、ご質問者さんが気を使って詳細に書いてくださったんだろうな、と思っています。
観る手段や手法は、推しには関係ない、と書きましたが、正規での視聴が自分自身にも、ひいては推し自身にも迷惑が掛からない方法になります。
全てにおいて真っ当な手段で追っかけするのが一番幸せな方法だと私は思います、ということを補足しておきます。
伝えるべき言葉の取捨選択が重要
これは過去に何度も書いて、私が手紙を書く上で注意している点でもあり、お気に入りになりたいのであれば、理解しなくてはいけないポイントになります。
一番理解しておく、念頭に置かなくてはいけないということは、推しの事情と私たちファンの事情や感情は全く異なるという事です。
わかっているようで、わかっていないというか、手紙や行動する上で、この事実を忘れている人が多い気がします。
手紙の面で言えば、自分の感情を素直に書いて、感想を書いていると思います。
正直になることは素晴らしいことですが、正直な情報が必要な情報とは限りません。
私たちファンの正直な感情(行けない)や情報(どうしてイベントに行けないのか)などは、推しからすれば不要な情報なのです。
こちら側(ファン)からすれば、自分のことを知ってほしいや、何で行けないのかを伝えたいなどの感情や思いがあるとは思います。
けれど、それは独りよがりの行為で、相手を思った行為ではありません。
自分を知ってもらいたいと思うのは、とってもよくわかります。だって、推しが好きで、あわよくば推しに私を知ってもらって(ファンとして)好きになってほしいですからね。
そのためには、自分のしたい行動が、推しのためのになる行動ではないということを、しっかり理解しておく必要があります。
伝えたいことが、推しにとって必要な情報なのか?を意識する必要があります。
そのためには、ちょっと自分の言いたいことを抑えることが必要にもなるので、中々難しいんですけどね。
ただ、このやり方は「お気に入りになりたい、ファンとして推しに好かれたい」と思う人のための手段です。
そうではない場合は、好きに思うがままの内容でいいと思いますよ。
ライビュやネット配信で視聴したことを推しに伝える方法は?のまとめ。
必要な情報だけをピックアップして推しに伝える、ということを今回の質問に当てはめてみると、必然的に「ライビュで観ますね!」と書くのみで十分ということになります。
ご質問者さんの「ライビュで観ます!」の一言には、色んな感情隠れています。
「現地には行けないんだ」「現地には行けないけど頑張ってほしい」「遠くからも応援してるよ」と。
でも、この一文から、裏に隠れている感情を読み取ることは出来ません。それは、文字として書かれてないから。
文字としたら裏の心まで読み取らないものなのか?となりますが、たくさんの手紙を受け取っている推しさんたちは、内容を考察したりするような「読書」として手紙を読みません。
目に入った文字の通りの意味としか捉えません。
だからこそ、書かないことまでは読み取らないのです。
私たちは、一つの手紙に色んな想いと策略を込めていますから(笑)、今回のご質問者さんのように「行けないと書いているのと同じ事なのかな?」と考え過ぎてしまうのだと思います。
そんなときは、一旦心をリセットしてみて、自分の感情ではなく、自分じゃない人の気持ちになったつもりで、自分の手紙を読んでみて下さい。
第三者の目ってやつですね。
第三者の目になるのが難しい場合は、その手紙を一晩寝かせて、翌日読み返してみて下さい。
別の視点や感情で読むことが出来ます。
そうすることで、「あれ?この文章必要かな?」などの取捨選択が出来るようになったりします。
試してみて下さいね。
あと、最後に余談ですが。
そもそも、「観ます」という表現はどのような時に使いますか?
言葉の不思議なところではあるのですが、文章に隠れている本当の意味を察することは難しいのに、「観ます」と言われると「視聴かな?」となんとなくで認識することです。
イベントで現地に行った人は「行きました」「参加しました」と表現して「イベントを観ました」とは書かないからです。
不思議なものですね。
自分の意識に向きがちな手紙ですが、推し視点で読み返したり、そもそもの言葉の使い方を見直すことで、手紙の中の表現方法はとても広がります。
…と、色々書きましたが、推しがこの手紙をストレスなく読むにはどうしたらいいかな~ということを考えのながら書くのが一番の方法かもしれない、と思います。
それでは、また!(*´ω`*)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Let’s enjoy 追っかけ LIFE!
こんばんは。質問させて頂いた者です。
この度は丁寧なご教示をありがとうございました。
マイクロトフさんのご回答を拝読して、
・どんな理由であれ、現場に行けないことを引け目や罪悪感のように感じていた
・その分手紙の中に重きを置いていたため、ご指摘の通り言葉に思いを込めすぎていた
というところが主に悩みの根幹だったのかな…と自己分析することができました。
たとえ現場に居なくても、見ているファンが推しにとっては同等に大切でありがたいと仰って頂けたこと、とても嬉しかったです。
次の推しのお仕事はまさに配信で観る予定なので、頂いたアドバイスを参考にお手紙で応援の気持ちを伝えたいと思います。
本当にありがとうございました!これからも参考にさせて頂きます。
K子さま>
ご質問&コメントどうもありがとうございます!
自己分析出来てよかったです。
現地に行けない事を気にしてしまうことは、私もありました~けど、現実問題、それも色々と難しいですしね。
でも、今はライビュや中継が一般的になったので選択肢が広がったことも、悩んでしまう要因になりましたよねー。
少しでもご参考になったようでうれしいです。
また何かありましたら、お声がけください~!
配信、楽しんでくださいね!!!